既存の言葉は便利だけど、その言葉に乗っかって全部を説明しようとするから自分と齟齬が出るんだよなー。
⚫︎キャラクターに対して
現実と同じ恋をしている。
現実で一人の人物に向ける恋心よりは希釈したもの。
現実であれば、その時恋心を向ける相手は一人にするべきと(自分に対しては)思っているが、二次元に対しては、相手が実存しないキャラクターだと認識しているので、複数の対象に恋心を向けることに後ろめたさは持っていない。
⚫︎恋心の表出の仕方
現実でコンフレークを食べる時に、「これふやけ過ぎたら國神くんの嫌いなものなんだよな」とクスッとしたり、「好きな人の好きな食べ物は、どんな物なんだろう」とチェリーパイを食べに行ってみたり。
作品を見ていて、ときめいた時。
ゲームの時が難しくて、あんスタの時に眞白くんが思ったより背が高かったと思った時のドキッとしたのは、あんず(ゲームから自分がイメージする一人のキャラクターとしての主人公)や自分の転校生夢主(ゲームの要素も持ちつつ、自分で加えた要素もある、ゲームが展開しているその場面に存在はしているが、概要的にゲームを見た時にその場にはいないんだろうなと思うキャラクター)も介さずに自分が持った感覚なので、紛れもなく自分の恋愛感覚だと言えるが、少しでも自分でないと思うと「これは私のことじゃないな」ってフィルター貼って見ちゃうんだよな。
夢小説を読んで「これは私じゃない」と思って悲しくなるのを避けるために訓練して身につけてきたのもあるし、「自分」が作品のその立場にいるということを嘲笑う、他者に対しても許容しない人達への防御反応として身にしてしまったってところもある。
ただまぁ、自分とそのキャラクターに何らかの差異があったときに、そこに自分が寄り添おうとしたり、程よい距離を保とうと(スルーする、に近い)したりせず、「自分ではない」と切り分けてしまうので、「自己」はあるけど「投影」が下手なのかもしれない。
逆に自分と環境は違うけど、「これは自分だ」と他人の話に自分も同じだ、と思うこともあるんだけど、あの違いはなんなんだろう。あり方かな。
私は自己投影のことを、SHISHAMOの「明日も」のサビにある、(自分にとっての)主人公に自分を重ねて、その人達の姿に自分も励まされる、癒される、とかが一番の核だと思っているので、それを「立場が違う」とか「思い上がるな」とか潰そうとしてくる奴らのことは本ッッッッッ当にクッッッッッッッッソが、って思っているんだけど、まあ他の人と定義の感覚が違うのかもしれない。
「立場が違う」とか、言っちゃなんだがたったそれっぽっちのことで、その人の見出した希望を踏み躙る権限がお前のどこにあるんだろう。本当に腹が立つ。
とかなんとかを、
https://twitcasting.tv/jiro6663/movie/739892305
このラジオでの「女性は自身に性欲があることを抑圧されている/きたから、性欲を性欲として認められない」と「性欲」の定義にほーんって思って、ただまあやっぱり大っぴらに話すのはまだ恥ずかしく、微妙にずらしたところで、上の辺りから話してみたんだけど、何でもむやみやたらに言語化する必要も曝け出す必要もないよなぁと思いつつ、やっぱ段々なんじゃろな?何が言いたかったんだっけ?みたいなところに行き着くな。
ジロウさんの「性欲」の定義、「手を繋ぎたい」「好きな人の写真を眺めていたい」も「性欲」なので、その定義の人は「恋愛は性欲に内包される」と言うのも分かるし(逆に「恋愛を性欲に内包するな」と言う人の定義もなんとなく分かる)、面白いなーとも思うんだけど、その場合幼子が親と接していたいとかも性欲のうちに入るんだろうか?(こういう定義の人なら、「それも含まれる」「欲の中でも、ここまではOKだし、ここから先は(社会倫理とか遺伝子的な問題もクリアしている人達であれば)互いに同意している人達ならOKと、成長していくにつれ分別がつくようになる(つくように育てていきましょうね)ので、それを性欲と定義すること自体は問題ない」みたいな感じだろうか?)
確かに抑圧されてきたとはいえ、何でもかんでも性欲をそれとして直視せず、「子どもみたいに見てる」とか「壁になりたい」とか他の捉え方ならOKとするのも、捻れた見方でよくないなーとは思うんだけど(そしてその定義であれば、確かに「過度に忌避せずに素直に話すこともできそうだな」とも思ったんだけど)、「その定義はその定義でどうなんだ?(じゃあ自分はどこまでなら「性欲」と定義するのか?)」って考える、自分とは結構違う(けど嫌にならない)人の考えって面白いなー。
とかいう私も「じゃあ自分で書く方は、自分と思って書いてるの?」と聞かれると、逃げを打っているかもしれないし、とはいえ自己分析をした結果はこう、という認識であることには現状変わりないし、まあそれがそもそも抑圧されたことによる歪んだ認知と言われればそれまでだが、「自分として書いていたけど、物語の展開上、夢主が自分とは違うことをしていくので、段々自分から離れて別の他人になっていく。今はそれを自覚して、初めからそのつもりで書いている物もある」って感じなんだよな。
あと「このキャラとこのキャラを組み合わせて書きたい」が最初に来たやつは、あんまり自分とか自分じゃないとか気にせず書いてる物もある。
物語が進むにつれ、どうせ私ではなくなっていくので(私のままだと物語が進まない(その選択をしない)ので)、じゃあ端から自分の中にある要素も加えつつ、自分が萌える要素も入れて作っていこう、で作っている感じ。
https://twitcasting.tv/jiro6663/movie/729012053
この辺り(「同性愛注意はあるのに、他の要素については注意書きがない」の質問箱の辺り)聞いても捻れてるしよくないなぁと思う部分もあるけど、いざ自分ごととなると、これ、どう解体していったらいいんだろうな?
「なんやかんやでキャラに愛されたいんだろ(それは夢主でなくお前の欲だ)」と言われたら、「そりゃそうやろ夢創作(あなたの夢を叶えましょう)だぞ、何を言うとるんじゃ(私は忍たまでコテンパンに叩かれていた逆ハー天女についても「方法はともかく「愛されたい」という欲望自体は何も悪いことじゃないだろ!!!!!」と怒ってたクチだぞ)」とはなるけど。大きくまとめると素直に答えられるな。細かく切り分けられて一つ一つチェックしていかれると恥ずかしい。現実では別とかもあるしな(まあこれは逃げの書き方だな)(現実ではされたら嫌な欲でもあっても、頭の中で願うのは全然いい)。
でもこれやっぱ、男女より普段男男(男性の場合は女女)で妄想しているの人の方が大変そうだな。層を剥がしていった結果、全部が全部、対自分に欲しい欲とは思わないし。(「おいしいとこだけ摘みたい(それを向けられたことによる面倒などは省きたい)(創作だからその辺りも好きに調節していいんだけど、それはそれとして)」という意味でも、「自分に⚪︎⚪︎して欲しい」「⚪︎⚪︎してる人が見たい」という時は性別問わずあるだろうし)
どこからどこまでなら歪んでない見方で、どこからどこまでは歪んでいる見方なんだろう。