給料日ラジオのリアルイベントに行ってきた

よ〜。
https://twitcasting.tv/ao8l22/movie/775131050
膨大なコンテンツの情報をざぶざぶ浴びて、興奮は覚えつつ「何も覚えてねぇ」ってなりながら帰ったの、インターネットだな〜ってなってた。嘘、本当はネットに書いちゃ駄目な第二部の部分がずっと頭の中にあるまま帰ってた。楽しかったです。

「主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら 15冊から読み解く家事労働と資本主義の過去・現在・未来」の「自分が今いる立場に対して、周囲から身勝手な評価(主婦の立場の人に対して「会社休んで家で遊んでるんだね」とか)に晒されているうちに、その評価を自分から先に言って傷付くのを避けちゃう」のところで、「あ〜〜〜〜〜、やってる〜〜〜〜〜〜〜。なんなら今月めちゃくちゃやった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」、ってめちゃくちゃグサグサ刺さってた(自分のは正確にはちょっと違うかもしれないんだけど、自分で先に「そういう人間」だと何回も刷り込んじゃう辺りが)。
あと、【推しの子】でも有馬かながやってたな……って思ったり、後の参加者の人が紹介してくれたおすすめ作品(ありまよさんの高速読み上げ、全然躓かずに最後まで行ってて凄かった…)で「メダリスト」が出た時も、「比喩じゃなくガチで泣いている」のところで高速頷きしながら2巻のお母さんが「大嫌いだった他人の評価を私も信じてしまってたんだ」ってところ思い出しながら途中で「主婦である私がマルクスの「資本論」(略)だ……」って真顔になってた。

あと「君たちはどう生きるか」は、私はマザコン映画ではない派でした。
全くマザコンではない、と言うほどではないけど、「宮崎駿監督作品はマザコンの要素がベースある」と言われたら「うん」とは思うので、今回もその程度はあるけど、抜きん出てこの作品だけマザコンとは思わなかったな〜って感じ。
正直、前回の給料日ラジオの最後で「君どうはマザコンかどうか」って話が出たのでそれを意識して見に行ったけど、多分その話を聞いてなかったら意識に浮上してすらなかったな、という感覚含めて、割とマザコンじゃない判定の方が強い。

なんでかな?と思って考えてみたんだけど、
・眞人はマザコンかどうか
 親を突然亡くして悲しい(確定)
 母を慕っていた(確定)
 仮定:父と気が合わない(消去法的にお母さんが好き)/父が許さない(であろう)弱さを出しても許してくれる人だった/父を慕ってない訳ではないが、別の家族を連れてきた時点で自分の味方ではなくなってしまった。
 →で、「周りに自分の味方が一人もいない」と思ってしまっている状態で、唯一自分の味方(家族)と思っているお母さんに縋っちゃうのは、割と自然なことじゃないかなぁ。勝一が重い荷物を身重の夏子に持たせた辺り、下手すりゃ一桁年齢の子な可能性もあるし(時代的なものかもしれんが)。
 眞人、内情はともかく口ではずっと「母は死んだ」って言っていて、夏子のことは「自分の母親」ではなく「お父さんの好きな人」と言うから、あの子が受け入れられてなかったのは、実母の死より、新しく家族になる人達(その環境)のことの方が大きいんだよな。
 その彼が、夏子に対して「お母さん」と呼べた時点で、前の母や家族の形に縋ることをやめて、現実の今の家族に眞人の方からも足を踏み入れていたので、マザコンじゃないなーと思っていた。
 でもマザコンって、別に眞人自身のことを指していた訳じゃなかったんだね。次行こう、次。
・導く人(サポートキャラ)がキリコだったこと
 宮崎さんのアニメの女性って大体あんな感じだったじゃん、って気持ちからあれは手癖じゃない?って思った。
 導く役である以上、ある程度ああいう強さは必要だと思っていて、でもあの強さを持った男性キャラでいこうとすると、調整をかなり絶妙にしないと、初対面で夏子に挨拶した時の眞人のような、弱さを表に出さない(認めない)面を抱えたまんま、強さを身につけた眞人になりそうなんだよな。
 そういう方向に転がらずに、眞人がヒサコの傷を癒やしつつ、新しい家族へ目を向けるように変化を導けるのを男性キャラでやろうとすると、サツキとメイのお父さん(というかあの環境(トトロはいてもいなくてもいい))くらいしか私では思い浮かばなかったんだけど、それなら下の世界に行く必要はなくなってしまい、今度は物語の方がああいう話である必要がなくなり……みたいな思考になる。
・「私これから君を産むんだよ」について
 シーン違ってたら申し訳ないんですが、柱がいっぱい立ったところで再会して抱きついた後の台詞だったけ?
 その時だと私まだ、下の世界が空想の世界だと思っていて、ヒミ(ヒサコ)のこともイマジナリーフレンド的なものだと思っていたので、今後の関わり方次第では家の中で「いらない子」認定が確定になる自信喪失みたいな状況下なら、そりゃもう確認が取れない親からの「あなたを産んで良かった」的な台詞は「自分はこの世界にいてもいい」的な支えになるので聞きたいよなぁ。都合の良い台詞かもしれないけどイマジナリーフレンドだし。ってあんま意識してませんでした。

話逸れるけど、ヒミ(ヒサコ)の台詞だと個人的には「(自分の死因が火事と聞いた後に)どうして?火は素敵じゃない」ってのがギョッとして、当時は「お母さんはお星様になった(常に燃え盛っている)から」「恐ろしくなるのは使い方次第で、本来は暗闇に明かりを灯してくれるものだから素敵、という思考」とか言い聞かせていたんですが、まだ生きてた本人だと思うと、その台詞と、夏子に「元気な赤ちゃん産みなさいね」って励ましてたのが後からじわじわ効いてきてます。
そりゃ具体的な経緯は想像しない年齢かもしれないし、その場にいもしない将来の伴侶より目の前の妹というのも分からなくはないし、いざとなったら(例えお互い思い合ってた夫婦だとしても)夫より姉妹の方が仲が良いというのもイメージ的に分からなくはないんだけど。妻の妹を後妻にするのはこの時代は珍しくもなかったみたいだから、その辺りも揺らぎの少なさに関連してるんだろうか?
でもまぁ、そういう純粋で、多少不思議っ子で、強くて、やたらめったら心が広い性格だと思うと、製作陣が「宮崎駿監督アニメのよくいる女の子(主人公)」に「実際母親だから」でノリノリで要素詰め込んだ可能性もなくはないけど、ああいう性格だから、他の人達は現実逃避から入っていった世界の中に、現実逃避ではなさそうだけどいたのもなんとなく分かるんだよな。ファンタジー適正が高いというか。
なんとなく、過去の宮崎さんだったら主人公にしていたキャラクターを別のポジションに持ってきたらああなった、って思っていて、そりゃあの性格で「いつか(男性と)結婚して、子どもを産んで、お母さんになるんだ」と将来を多少でも描いている人なら、「自分の子どもだ」と言う男の子が優しくて勇気のある子だったのは嬉しいだろうし、妹が好きな人と結ばれて、その人との間に子どもができたっていうこともめでたいし、だから無事に産まれるよう願うという行動も自然な気がして、やっぱ「宮崎駿監督作品はベースマザコン」は「うん」とは思うけど、この作品が抜きん出てマザコンとは思わなかったんだよなぁ。

いやぁ〜、それにしても楽しかった。カヘッカヘッのくだり、公開直後くらいに円居先生のタイムラインでも大体見てたのに、今回もすげーーーーーー笑いました。自分が映画に対して、一回見に行くのが止まると次に見に行くまでにすごく腰が重いタイプで、君どうも結構ギリギリまで見るか迷ってたんだけど、見てよかったなぁ。自分も作品見て、どういうものかという実感があるからか、いつもにも増して話聞いてて面白かった。
イベントの後、ちょこちょこサンプル摘んでみたり、小説書き進められたり、映画見たりして、きっといつもみたいに携帯で聞いても十分面白かったと思うんだけど、なんかすっごいわーってなってもりもり湧いていたので、ライブってすげぇなぁってなりました。
お二人とスタッフの皆さん、楽しい時間をありがとうございました。



「何が良いのか分からないけど、なんとなく良いな」と思っている作品
第二部のお手紙コーナーの時にあった質問で、当時は思い浮かばなかったんだけど、帰ってからぼやーっと思い浮かんだの二つ。
何が良いのか分からないけど、自分がなんでこの作品の良さを分かってないかは分かるので、ちょっと趣旨は違うかもしれない。

ベルリンうわの空

脳がどっかの創作ハウツー本だったかに書いていた「大抵の面白い物語は、どれも(起承転結系の)決まった型に嵌っている」に支配されている頃に読んで、「物語の型に嵌った感じの書き方じゃないのに面白い!?!?!?(実際そういう物語もあるだろうな、とは思っていたんだけど実物に出会したのは初めてだったので)」と衝撃と困惑を受けた漫画でした。
だからそういうところから視線を外せば、良いところはいっぱい出せるんだろうな、って作品。でも私には不思議な読み口。「型に嵌ってないのに面白い!?」ってなった時も確か読んで2、3回目で、そうなるまでは自分の中に染みついた漫画を読む時のリズムに嵌まらなくて「???(面白いところもある気はする)」ってなっていた気がする。

ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~

前に読んでた話のところまでの感想なので、今はまた違うかもしれないけど、「終着点がどこに行くのか分からない話」を、私は「何が良いのか分からないけど〜」枠に入れがちなんだな、と思った。同じ終着点が見えない作品でも、ベースが日常系(プリンタニア・ニッポンとか、うめともものふつうの暮らしとか)だとそこまで気にしないんだけど、なんかそういうタイプの話でもないので不思議。
そんで別に、物語の最初に「目的」は示されているのに「どこに行くのか分からない」と思うのか、他の物語だって⚪︎⚪︎編、××編、と次々と目的が変わっていくことはあるだろうにそう思わないのかの違いは見つけられてないので、やっぱなんか不思議な読み口の作品。
同じタイプで黄泉のツガイもこのカテゴリに当てはまるんだけど、荒川先生はエンタメの見せ方が上手過ぎて物語の終着点なんか見えなくても「何が良いのか分からない」のところを「面白い」で吹き飛ばしちゃうんだよな。

あとねぇ、私は食べ物で時々「何がどう良いのかは全く分からない。旨いことしか分からんかった……」ってなります。
楽しいよね、解像度高くないけど好きなものも!わはは!!

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